ママでも本気でビジネスやってみた
育休後うつになった私が、 本気でビジネスはじめたら、人生変わった話
プロフィール

育休明けうつになった私が、ネットビジネスはじめて、人生が変わった話

 

はじめまして!みゅららと申します。

プロフィールを見ていただき、

ありがとうございます!(^^)!

 

わたしは、現在やんちゃ盛りの2歳と6歳の

2人の男の子を育てています。

夫と2人の子ども、さらに犬・猫の4人+2匹で、毎日わちゃわちゃと暮らしています。

 

仕事は工場の事務をしていて、

フルタイムのパートとして働いています。

 

一方、旦那は週6勤務\(^o^)/

週の半分は、私や子どもたちが寝た後に帰ってきます。

 

なので、現状は、

週6でワンオペしながら、毎日慌ただしい日々を送っています。

 

そんな中、わたしは、

パソコン1台で、月100万稼ぐ、

2人の男の子のママから

ネットビジネスを学んでいます。

 

いろいろツッコミどころ満載ですが、

  • なんで、そんな忙しいのに、ネットビジネスをしているのか?

 

  • 週6ワンオペしてるのに、ビジネスをやる時間があるのか?

 

  • その前に、ネットビジネスってあやしくない?

 

っていう、たくさんの疑問がでてきますよね。

 

今回は、みなさんが一番の気になる

  • なぜ、わたしがネットビジネスをしているのか?

 

ということを、

わたしの過去から現在を振り返りつつ、

お話していきたいと思います。

 

「え…?コイツ、そんなことまで、晒すの…( ゚Д゚)」

って多少引くかもしれないけど、

気楽な感じで読んでもらえれば、うれしいです(*’ω’*)

 

それでは、レッツスタート♪

脳内お花畑全開の学生時代

 

それでは、勝手に自分史を、語ろうと思います。

「お前のこと、そんなに興味ねーよ」

って言わないで(/ω\)

 

わたしは、30代後半のアラサーじゃなかった。

気づけば、もうアラフォーだった(^^;

なので、わたしの過去の話は、同年代の方には、

「なつかしいw」

と、思ってもらえると思います。

 

さらに学生時代は、漫画やアニメが大好きなオタクでした。

本当は晒したくない、恥ずかしい黒歴史もお話します。

ちょこっとだけでも、覗いてみてください♪

 

それでも、興味ないよって方は、

理想の未来とは、かけ離れた生活

からどうぞ・・・

 

0歳~暗黒の小学校時代

 

・0歳:福島県のとある田舎町に生まれる。

家族構成は、父・母・7歳年上の兄・わたし。

兄と年が離れていたため、また待望の女の子ということで、わりと甘めに育てられる。

 

9ヵ月母もワーママだったため、小さいころから保育園に預けられる。

「9ヵ月で預けるって早すぎない?ひどくない?」

って、昔は思っていた。

だけど、いざ自分の番になって、次男を5ヵ月で預けるときに、

「あぁ、自分のときより、早く預けちゃってごめんね・・・」

と、切ない気持ちでいっぱいになる。

 

それと同時に、母も同じ思いで預けてたんだと思うと、

「ひどいとか思って、ごめんね」って思う。

 

保育園時代おとなしい性格だった。

ある日イヤなことがあって、保育園脱走。

脱走理由は、わたしが風邪でお休みしている間に、みんなはお遊戯会のダンスの練習。

ほかのお友達は上手にダンスしてるのに、自分だけできないっていうのがイヤで脱走。

先生が迎えに来てくれて、無事捕獲。

 

このころから、ほかの人ができて、自分にできないっていうことがイヤだった。

完全に負けず嫌い。

 

小学校低学年:ここでもおとなしい性格、ゆえにいじめられる。

いや、いじめっていうより、クラスメイトから、いやがらせを受ける。

給食を配るのに並んでいるときに、後ろの子がトレーでわたしの背中を押してくる。

おとなしいから、いやだと言えず。

今でも、いじめた子を忘れない。

 

また、遠い保育園に通っていたため、近所の子と遊ぶ機会がなく、人見知りを発揮。

集団登校時、6年間無言を貫く。集団登校が大嫌いだった。

 

ただ、学童に通っていて、そこでは人気者。

おやつを食べるときに、わたしのとなりに座りたいお友達同士で、けんか勃発。

クラスで嫌がらせをうけても、環境が変われば、人気者だったので、救われた。

このとき、環境が変われば、ちがう自分になれるということに気づく。

 

小学校高学年:ちょっと早い反抗期をむかえる。

担任のやくざみたいな、男の先生が大嫌いだった。

大人も嫌いとか言ってたw

そのくせ、スラムダンクにハマり、バスケをはじめる。

好きなキャラクターが紫のハチマキしてたから、

「私もやる!」と言いだし、急に紫のハチマキをしだす。

先生に「お前、どうした?」って本気で心配される。

 

幽遊白書も好きだったので、大好きな妖狐蔵馬の格好をマネするには、

どうしたらいいのか、常に考えてた。

当時コスプレの概念がなかったから、本人は超本気。

今思うと、めっちゃ痛い黒歴史の高学年時代(/ω\)

 

バスケ命の中学生時代

 

普通に地元の田舎の中学校に入学しため、

また、ヤンキーが多い学校だったため、

真面目に勉強してるだけで、上位5番目あたりを常にキープ。

 

当然、部活はバスケ部に入部。

昔だったから、体操服がブルマで、

あ、ブルマって知ってる?

ドラゴンボールじゃないよ。

めちゃくちゃ嫌だったことを覚えている。

当時のわたしは、ぽっちゃりしてたから、足太いしブルマがものすごくイヤだった。

 

ちなみに、なぜ太ったのかというと・・・

平日学校から帰ると、母が帰宅するまで待てずに

おやつに、板チョコ1枚・ポテチ1袋を食べてたから(^^;

 

あと、普通に先輩に嫌われてた。

部室で、みんながいる前で

「あんただけ、廊下ですれ違っても、あいさつしないよね」

って見せしめにあう。

入部したてだったし、人の顔覚えるの苦手だったから、

「そもそもすれ違っても、お前が先輩かどうかしらねーよ」

って思ってた。

めっちゃイヤな思いしたから、後輩には絶対に同じことをしないと誓う。

 

「部活行きたくないな~」と思ってたけど、1つ上バスケ部の先輩を好きになる。

先輩に会えるから、部活に行く。

ただのミーハー部員だった。

 

また、このバスケ部の先生が大好きだった。

坊主にサングラス姿で、常に竹刀を持ち歩いていて、見た目が完全にやくざ。

何回、見た目やくざな先生が登場するんだよって感じだけど。

厳しいなかでも、やさしい一面がたくさんあった先生だった。

見た目でこわい先生というレッテルを張られていたが(当然だけどw)

全校生徒が、その先生が大好きだった。

 

それは、なぜか…

毎年恒例の合唱コンクールで、その先生の単独の弾き語りショーがあり、

そこで、絶大なるファンを獲得していたのだ。

生徒の合唱コンクールそっちのけで、一番盛り上がってた。

 

ちなみに、そのとき長渕剛の「乾杯」っていう歌を披露してくれた。

“乾杯!今君は、人生の大きな大きな舞台にたち~”

という歌詞がすごく胸に響いて、ほかの生徒も先生でさえ、涙を流して聴いた。

今でもわたしの中で好きな歌のひとつです。

 

そんな尊敬してた先生が、中3の最後の学年のときに、突如バスケ部を退任。

「最後の年になんで?

なんで、最後まで指導してくれないの?」

という、寂しい、悔しい、ちょっと裏切られた気分だった。

 

あとで知ったことだが、先生はこの時大病を患っていて、

「最後に1年だけやらせてくれ。

わたしたちの最後の大会まででいいから」

と、校長先生に頼み込んでくれてたんだったけど、

ドクターストップがかかったらしい。

そのことを、卒業後に聞いて、号泣。

 

そんなこんなで、高校受験シーズンに突入。

志望した高校は、元男子高。

私が入学するときには3年の先輩は、ほぼ男子。

イケメンの先輩が多いっていう、くっだらない理由で、高校を決める。

勉強だけは真面目にやってたおかげで、

すんなり、推薦で高校に入学する。

 

お花畑の高校時代

 

高1:イケメンが多いという理由だけで選んだ高校は、進学校。

中学では、成績は上位にいたのに、都会の高校(って言っても所詮福島だけど)では

平凡な成績しかとれず、身の程を知る。

また懲りずに、イケメンの先輩がいるという理由で、ここでもバスケ部に入部。

しかし、不純な動機で入部したので、練習が死ぬほどイヤだった。

 

とある真夏の夏休みの部活中に、部員が熱中症で倒れた。

救急車を呼ぶか否かの大事件になった。

しかし、コーチが問題をおそれて、救急車呼ぶのも、病院に行くのも拒否。

そんなコーチの姿に幻滅し、バスケ部をやめる。

 

「高校に入ったら、彼氏をつくる!」という、

これまた、くっだらない目標を掲げていたわたし。

ママレード・ボーイグッドモーニング・コールなど、

少女漫画が大好きだったので、完全にその影響。

出会いが多いだろうとバイトを始める。

努力の甲斐あって、人生初彼氏ゲット。

 

だがしかし、

初デートのとき、駅前で待ち合わせをしたが

カズレーザーも真っ青の、上下真っ赤なジャージ姿で現れる。

「お前、それどこで買った?ジャスコ??」

と思いつつ、

「どうしよう。今すぐ逃げたい!」

でも、手を振ってこっちに笑顔で近づいくる(; ・`д・´)!!

という、めちゃくちゃ恥ずかしい、しょっぱい思い出をくれた、

人生初彼氏は、半年で別れました。

 

高2:選択科目の専攻を、物理と地理に選択してしまったゆえに、

男子40人女子5人というクラスに。

いくら、男子目当てで入学したとはいえ、そこはだいぶ後悔。

また、女子5人という奇数で微妙な人数に、あとあと苦労する。

 

この時期、まだ少女漫画のようなバラ色な高校生活を捨てきれず。

クラスで一番かっこいい男子に、身の程を知らずに、猛烈アピール。

奇跡が起き、「君に届け」の風早くんみたいな彼氏をゲットヽ(^o^)丿

 

当然、風早くんはモテていたので、

くるみちゃんみたいな子に

「なんで、彼女があれ(私)なの(`ヘ´)」

と、陰口をたたかれていたことに、後になって知る。

 

また、デートで街中を歩いていても、

「カットモデルにならない」って声かけられるも、

完全に彼氏に向かってしか言ってない。

「きみ、かっこいいね~」とべた褒めしてて、私のことガン無視。

かっこいい人を付き合うと、意外と惨めな気持ちになるんだ

と、初めて知る。

 

高3:またまた受験シーズン到来。

当時、大学で心理学を学びたいと思っていた。

一生懸命、受験勉強する。

しかし、センター試験後に、すでに社会人だった兄に借金が発覚。

もともと貧乏で、国立しか行かせてあげられないと言われていた。

なので、大学準備金を借金返済に充てたため、お金がなくて大学行けず。

高校3年間、一応大学に行くために必死で勉強してたのに、水の泡になる。

 

今思えば、奨学金でも、なんでも借りて大学に行く方法もあったが、

当時、いまみたいに気軽に情報を手に入れられず。

大学進学を諦める。

ここから学歴コンプレックスとの戦いが始まる。

 

高校卒業後・・・

 

友達は、大学や専門学校など、楽しい学校生活をエンジョイしているなか、

自分はクレープ屋さんでアルバイト生活の日々。

 

そんな中、

「自分を変えたい!ほかの友達がやってないことをしたい!」と、

ワーキングホリデーを利用して、ニュージーランドに行く。

 

そこで、ひろーい牧場で、ひつじの世話をしながら、

細々と、でも、家族がみんな仲良く、

ゆったりとした生活をしているホストファミリー家に、感銘をうける。

わたしも、ここの家族みたいに、

時間に追われることなく、

家族の時間を大切にしながら、

あたたかい家庭に築きたいなぁと願うようになる。

 

2年と続かない仕事・・・

 

ニュージーランドから帰国後、職を転々としながら、様々な職場で働く。

テレビ局のAD、旅行会社、訪問販売、自動車販売店、英会話教室・・・

営業やら事務やらいろいろやってみたけど、どれも2年経つと飽きてしまう。

自分は同じ職場や仕事を、2年経つと飽きてしまうことに気づく。

どうしたものか、と悩んでいるうちに、旦那と結婚。

 

理想の生活とは、かけ離れた生活

 

いま、こうして振り返ると、

超ミーハーで、お花畑な学生生活を送っていたわたし。

そして、自分の望み通りにならなかったのは、

うちが貧乏で、大学行けなかったってことくらい。

たいした挫折や失敗をすることなく、平凡に過ごしてきた。

 

だが、

 

しかし・・・

 

人生はそんな甘くなかった。

 

それに気づくのは、結婚して自分で家庭を持ってから。

 

学生時代は、常に親に守らてていた。

独身時代も、自分ひとりならなんとでもなった。

 

でも、夫と結婚し、現在は2人の子宝に恵まれ、

今でやっと幸せな生活をしているが、

そこに至るまでが大変だった。

 

そもそも、

 

わたしたち夫婦は、

 

自然には子どもができなかった・・・

 

 

1人目不妊治療開始

 

旦那とは、超年の差婚だった。

また、はやく親孝行しなきゃ。

はやく孫を見せてあげたいと思い、結婚後すぐに妊活開始。

半年間がんばるも、なかなかできない。

 

病院にいった方がはやいと思い立ち、気軽な気持ちで病院を受診。

そこで、まさかの男性不妊が発覚。

先生に

「自然には授かれません。

体外受精するしか、方法はありません。」

と、告げられる。

 

それなら、一番腕のいい先生のもとで、不妊治療をしようと

福島県で一番実績のある病院の門をくぐる。

 

これまた、見た目コワモテの先生に、

「大丈夫ですよ。

この1年で、必ずあなたに赤ちゃんを授けますよ」

と、ものすごい自信でおっしゃってくれた。

 

で、結局、

1回目の顕微授精で、無事に妊娠。

先生の予言通り、本当に1年後には、実際に赤ちゃんをこの手で抱いていた。

 

ちなみに、仕事はサービス業だったから土日は休めず、退職。

人生で、初めて専業主婦になった。

 

無事に、息子が生まれ、念願だった幸せな家族を築いてた。

息子は、周りの子と比較しても、おとなしく、とても育てやすい子だった。

専業主婦だったので、いろんな成長を間近に見ることができた。

初めての寝返りも、たっちもあんよも。

 

だけど、息子がスタスタスタと歩けるようになると、

急に2人きりの生活が、物足りなく感じてしまった。

ある程度息子が成長すると、目標がなくなったというか・・・

旦那の収入の減って、専業主婦が辛くなったので、自分も働こうと決意。

保活を開始する。

 

しかし、

保活ですら、

そんなに甘くなかった。

 

保活は、息子が1歳半を過ぎたころに開始。

8月ごろだったが、認可はもちろん、認可外保育園も空いてない。

自宅から通える範囲の認可外保育園に、片っ端から20件くらい電話しまくった。

見学の申し込みをするも、

「いまは空いていないから、見学できません。」

と、世知辛い返事をもらう。

 

唯一、自宅から一番近い認可外に空きがでると、

心を躍らせながら、保育園の見学に行った。

しかし、月謝が月5万という事実に、気持ちがしぼむ。

 

まだ仕事も決まってない。

毎月どのくらいお給料がもらえるか、わからない状態で月5万か・・・

と悩んでいる間に、旦那の転勤で千葉への引っ越しが決まる。

 

ウッキウキの千葉へのお引越し

 

息子が生まれてから、毎週末は母に孫を見せに行ってた。

そのため、千葉への引っ越しは、母からすればとても残念だったはず。

 

一方、

わたしは、この町の唯一のショッピングセンターが、ジャスコという田舎町で、

一生過ごすのが、どうしてもいやだった。

影でこっそり、旦那に転勤願い出してと頼み込んでいたのだ。

 

そんな高齢の母と離れるのは、ちょっぴり後ろ髪をひかれたが、

内心ガッツポーズしながら、千葉に乗り込む。

 

千葉に行ったら、すぐに仕事を探そうと、引っ越してすぐに、保活を再開。

たまたま、家の近くの認可外保育園に空きが出て、すぐに入園することに。

同時にパートの仕事も決まる。

 

とんとん拍子で、新しい生活が始まる。

わたしは仕事にも慣れてきて、息子も保育園に慣れ、

慌ただしい毎日だけど、仕事の休憩時間など、

久しぶりに一人の時間を持てたことに、感動。

また、

自分が稼いだお金で、好きなものを買えるというのも、気持ちがよかった。

専業主婦だと、どうしても旦那が稼いだお金って感じで。

やっすい化粧品買ったり、洋服も全く買わなかった(^^;

 

千葉の生活が慣れてきたころ

わたしにはどうしても叶えたいことがあった。

 

2人目が、どうしてもほしい。

 

旦那の年齢的にも最後だし、なにより、息子に兄弟をつくってあげたい。

 

ちなみに、実は息子が1歳の時に、すぐに2人目の不妊治療開始していた。

保存していた卵を迎えたり、新たに採卵しなおして、4回もチャレンジした。

しかし、結果は化学流産も含め、すべてだめだった。

早々に妊娠検査薬を試して、少しでもうっすら線が見えれば、妊娠したと大喜び。

線が消えてしまうと、赤ちゃんいなくなっちゃた・・・

と、とんでもなく落ち込む。

ジェットコースターみたいな感情の起伏に、疲弊する日々だった。

 

そこで、千葉にきて、心機一転。

仕事が落ち着いてきたころに、2人目の不妊治療を再開。

仕事のスケジュール調整や、職場へのカミングアウト、

子どもを連れての不妊治療は、なかなか大変だった。

 

息子に、「ばんがれー!」って応援されながら、お腹に自己注射をする日々。

そして、見事妊娠、2人目を授かった。

2人目がほしいと切望してから、2年半も経っていた。

 

ここでも、バラ色の妊婦生活だった。

日に日に大きくなるお腹。

どしどしという重めの蹴りをいれてくるお腹の赤ちゃんが、すごく愛おしかった。

 

けど、

 

平凡で、

 

不自由をしない人生は、

 

ここまでだった・・・

 

今になって、そう思う。

 

旦那の突然のうつ告白

 

それは、突然やってきた。

2人目妊娠7ヵ月のとき。

 

いつものように、旦那と息子、私の3人でお風呂に入ってた。

わたしが髪を洗っているときだった。

 

旦那が、唐突に

 

「仕事辞めた。

・・

・・・うつ病だって」

 

と、告白。

 

人って急に予想外のことを言われると、

本当にフリーズするんですね。

 

血の気がサーと引き、

 

お風呂に入ってたのに、

 

からだが冷たくなっていくのを感じました。

 

旦那も、言うタイミングをうかがっていたんだろう。

わたしの顔が見えない、髪を洗っているときに告白したのだから。

 

旦那は、ずっと土日祝・GWやお盆も休めないサービス業をしていた。

元々わたしは専業主婦だったので、平日の休みの日に出かけていた。

だけど、千葉にきてからすぐに、私は土日休みの仕事を始めたので、

休日が合うのは、年に5回くらいだった。

 

そんな生活に、わたしが耐えきれず。

なんとかして今の生活を変えたいと、旦那にお願いをしてたのだ。

 

旦那は、2人目も生まれるということで、長年勤めていた会社を退職。

すぐに転職してくれた。

 

しかし、転職先がブラックだった。

 

当初提示されていたお給料よりはるかに少なく、

仕事もなかなかうまくいかない。

ゆえのうつ。

 

旦那は、うつとは無縁な性格だった。

人見知りせずに、誰とでも仲良くなれる。

大人になってからも、ホッケーのサークルなんか立ち上げて、

誰よりもおしゃべりで、リーダー的存在だった。

旦那がいるだけで、その場がぱっと明るくなる太陽みたいな人。

みんなに頼りにされていた、そんな旦那が好きだった。

 

だから、うつ病と言われても、全然ピンとなかった。

あとになって思ったのは、

休みの日になると、やけに1日中寝てるなーくらい。

全く気が付かなかった。

妻失格だったなと思いつつ、幸い軽度だったので、その後は回復。

 

まぁ、わたしも旦那に頼りっきりだったのもいけない。

早めに職場復帰することにした。

 

と、同時に、

旦那の給料に頼りっきりにするリスクに気づく。

 

産休に入ったら、2人目が産まれるまで時間できるし、

なにか他の収入源を見つけようと、決意。

 

フライングで、次男誕生

 

その後、少しでも生活費を稼ごうと、予定日のギリギリまで働いていた。

無事に産休に入り、出産準備がひと段落したら、副収入源探しをしようと考えていた。

 

しかし、予想外なことに、

2人目は10日ほど予定日より早く産まれてしまう。

 

産休に入って、出産準備がひと段落した日。

やっと準備が終わったから、運動がてらショッピングモールを散歩。

ソフトクリーム片手にうろうろしてたのが、効いたのか。

 

その後、息子を早めに保育園に迎えに行って帰宅。

「一緒にかるたやろう」と言われて、横になって札を読んでいると、

お腹から、プツっと何かが切れたような音がした。

と、同時に下からちょろちょろとなにか出てる。

 

「え?破水?( ゚Д゚)」

 

出産が破水から始まるとは、心にも思っていなく・・・

全く心の準備もしていなかったので、パニックになった。

 

そんな予想外の展開からの、2人目を無事に出産。

約3年、待ちに待った待望の2人目、男の子だった。

 

ちなみに、私は男の子の2人育児に憧れていた。

なので、

「2人目はやっぱり女の子がいいなぁ」と言う、

旦那と息子をよそに、虎視眈々と2人目も男の子を願っていた。

 

まわりも

「女の子の方が、楽だよー」とか

「男の子ふたりは、大変だよー」とか

いろいろ言われた。

だけど、わたしの意思は固かった。

 

なぜ、わたしはこんなにも、男の子2人ほしかったのか?

それは、モデルのサエコのインスタだ。

イケメンの息子2人とお出かけしてる姿を、たまにアップしている。

その姿が、王子に守られている姫って感じで、超うらやましかった。

 

わたしも、息子2人がわたしの両手をひっぱり

「僕のママだよ!」

「ちがうし、俺のママだし」

みたいな取り合いをしてくれるのが、夢だった。

親になっても、根強いお花畑な脳内w

 

まぁ現実は、

両脇でそれぞれ夜泣きされて、途方に暮れる日々だったけど(^^;

 

ただ、4年ぶりの赤ちゃんのお世話は、めっちゃ楽しかった。

0歳児枠で、保育園に入園させるため、

一緒にいられる時間は、5ヵ月しかなかった。

その間、目一杯愛情をそそぐ。

 

お給料とは別の収入源さがしの旅

 

しかし、新しい職に就いても、旦那の収入はどんどん減る一方。

私も産休中なので、フルでお給料はもらえない。

中断してた、副収入源探しを再開。

 

ここで、選んだのが「せどり」だった。

いま気づいたけど、わっきーさんのフライパンせどりの記事をみて、

せどりを選んだのだった。

ちなみに、副収入を得るために、せどりを選んではいけない。

せどりとは、簡単に言うと、安く商品を仕入れて、高く売るビジネスのこと。

 

そもそも赤ちゃんを連れて、ゆっくりとお店でどれが高く売れるかなんて、調査できない。

 

わっきーさん、

あの記事に

「安定して副収入を得る方法は、せどりじゃねーよw」

って書いておいてくださいよ。

 

次男の保育園入園&職場復帰

 

赤ちゃんのお世話と、副収入源をさがしているうちに、育休終了。

新しい生活が始まる。

 

長男の時は、2人目の不妊治療するために、母乳は1歳までと決めていた。

なので、1歳ちょうどで泣く泣く断乳。

わたしの都合で、断乳してしまったことが心残りだった。

 

だから、今回は次男が

「お前のおっぱいもう飽きたわ」

と思われるまで、授乳しようと決意。

 

保育園ではミルクだから、入園前に哺乳瓶の練習をする。

うまく飲めていたのに、保育園では哺乳瓶拒否。

 

仕方なく、仕事のお昼休みに、授乳しに保育園へ。

また、夜泣きもしていたので、夜も授乳も欠かせなかった。

仕事から帰ってきたら、まず授乳。

それから、夕飯、お風呂、寝かしつけ、夜泣き、授乳のループ。

 

正直このころの記憶があんまりない。

 

貴重な次男の赤ちゃん時代を思い出せない。

 

長男のときとは、

たっぷり時間のある中で育てていたので、

全く違う育て方に、

次男に申し訳なく思う。

 

うつって移るんですね

 

そんな生活を半年くらいしてくると

なんだか気分がさえない。

 

働いても、

 

働いても、

 

生活が苦しいまま。

 

この状況はいつになったら楽になるの?

 

子どもたちが大きくなったら?

 

それっていつ?

 

 

楽になりたい・

 

 

この世からいなくなりたい・・

 

 

死にたい・・・

 

って思うようになっていた。

 

そうです。

 

いつの間にか、

旦那の次に

わたしまでうつになってしまったのです。

 

自分の時間がない中で

それよりも、子どもとも時間さえない中で、

働いても働いても、楽にならない生活。

 

このころ、旦那からもらえた生活費は5万円だけ。

家賃にもなりません。

当然、わたしのお給料だけじゃ足りず。

 

とうとう、

子どもたちの将来の学費にと

貯めていた児童手当に手を付ける。

 

通帳から、

 

お金を引き出すたびに

 

手が震えた。

 

子どもたちに、

 

「ごめんね、

ちょっとだけ借りるね。

ママ、がんばって働いて、

絶対返すからね」

 

と毎回心の中で呟きながら、

震える手で、

引き出しのボタンを押した。

 

でも、

それでも、足りない。

 

 

長男の学資保険を解約した。

 

0歳の時から毎月、1万円。

引き落とし口座に、わざわざ入金してた。

 

この積み重ねが、

この子のためになると

親としての誇らしさを感じながら。

 

 

もう、自分が情けなかったです。

 

何度も、涙を流しました。

 

 

ここから、

子どもたちのために、

本気でビジネスをしようと決意。

うつだったわたしを変えた、ネットビジネス

 

なんで私が本業の仕事に力を入れずに、ほかの収入源を探したのか。

それは、単純に社に雇われながら、子育てするのに限界を感じたから。

 

元々、脳内お花畑ではあったが、仕事は真面目に積極的に取り組んでいたわたし。

「いまはお子さんが小さくて大変だから、

落ち着いたら、ぜひ社員になりませんか?」

と声をかけていただいていた。

 

でも、実際わたしが正社員になった生活を想像すると、

あまりにもハード。

自分が20歳のときにニュージーランドで感銘を受けた

家族仲良く、のんびりと生活するという理想をかなえることができない。

 

パートで労働時間が短くても、こんなに大変なのに、

正社員になったら、今よりプラス1時間増える。

残業がある日なら、帰る時間がもっと遅くなる。

 

わたしは、平日子どもが学校から帰ってきたら、

  • 一緒に、勉強や宿題をみてあげたい。
  • 一緒に、夕飯を作りたい。

という、夢がある。

正社員になったら、絶対にできない。

 

それに、この理想としている生活は、子どもが成長して、

中学生、高校生になったら、さらに難しくなってしまう。

部活や友達と遊ぶといって、

親のわたしたちと一緒にいるよりも、

他に楽しいことがたくさんあるからね。

 

一緒に過ごす時間すらなくなってしまう。

わたしたちを必要としなくなってしまう。

 

だから、

子どもがわたしを必要としてくれている今だけは、

全力で子どもたちと向き合いたい。

だから、時間がほしい。

 

だから、

会社に雇われずに、

自分で稼ぐ力を身に付けたいと強く願った。

 

暗中模索の副収入源さがしのなかに、一筋の光

 

ちなみに、わたしは、人生の中で副収入を得ようと、

チャレンジしたことが何度もある。

 

株、せどり、ポイ活、ブログ・・・

どれも、3ヵ月と続かなかった。

 

なぜか?

どれも、

安定かつ継続的に稼げるビジネスではない

と、思ったからだ。

今の仕事を辞めて、子どもたちとの時間を増やすためには、

最低でも、今お給料分を安定的に稼ぐ必要がある。

また、お金がないので、初期費用やコストのかからないビジネスでなくちゃだめ。

 

そんなときに、出会ったのが、

メルマガやブログ、SNSを利用して

ネット上に「仕組み」をつくって、収入を得る方法だ。

 

さっそく、その仕組みどんなものなのかを知るために、

とある女性起業家さんの企画に参加。

 

そこで、わたしと同じく2人の男の子を育ててるママに出会う。

そのママは、その当時は夜勤ありの看護師をしながら、仕組みをつくって、

今は月100万を稼いでいる。

 

看護師をしながら、仕組みをつくってたの?

看護師を捨てて、ネットビジネスやってるの?

 

わたしは、看護師は女性にとって最強の職業だと思った。

看護師の資格さえあれば、どこでも仕事ができる。

子どもがいても、正社員でもパートでもすぐに働き先が見つかる。

しかも、高収入。

わたしの子どもたちが、もし女の子だったら、

やりたいことがなかったら、とりあえず看護師になりなさい

と育てようと、思っていたくらいだ。

 

この、

  • 元看護士という忙しい中で、仕組みをつくっていた

 

  • 自分と同じ2人のママ

 

  • わたしが理想とする未来を叶えている

 

という点で、

この人から仕組みを使ったビジネスを学びたい

と決意。

現在、そのママが主催する、有料の企画に参加して、ビジネスを学んでいます。

 

ちなみに、このママさんの生活をちょっとだけ垣間見ると・・・

パソコン1台できる仕事なので、

  • 自宅やおしゃれなカフェ、旅先など、好きな場所で仕事ができる

 

  • 子どもが具合が悪いときは、家でゆっくり休ませて、一緒にごろごろ

 

  • 子どもに必要な習い事を、お金を気にせずにやらせてあげられる

 

  • 混んでいない平日に、キャンプやディズニーランドに行ってる

 

こんな、うらやましい生活をしている。

 

わたしも、仕組みをつくれば、

今の仕事をやめて、わたしが理想とする子育てができる。

子どもと一緒に過ごす時間を増やせる。

その一心で、ビジネスや仕組みを一生懸命学んで、実践中。

自分の理想の未来を、自分で掴みにいってるところです。

 

子どもと過ごせる時間は、案外少ない

 

子どもと一緒に過ごせる時間は有限です。

チコちゃんが言ってたのですが、

「ママは7年、パパは3年」

しか、子どもと一緒に過ごせる時間はないそうです。

 

この話を聞いて、

わたしは、

今の時間に追われる生活は、

続けられない

と悟りました。

 

わたしの中の優先順位は、常に子どもです。

子どものために、収入や時間を増やそうと、ビジネスを始めました。

自分ひとりや、夫婦2人きりの生活だったら、

最低限の収入があればいいと思って、

ビジネスをしていなかったでしょう。

 

また、自分がうつになったときに、

うつの沼からわたしを引き揚げてくれたのも、

子どもでした。

子どもたちのために、いまは死ねない。

この子達を残して、死んではいけない。

こんな思いでした。

 

だから、わたしは子どものためなら、なんでもします。

どんなにフルタイムで忙しくても、

どんなに自分の時間がなくても、

毎朝4時起きで、ビジネスをがんばれるのは、

子どもがいるから。

子どもと過ごす時間を増やすためなら、

わたしの睡眠時間など、くれてやります。

 

夢中になれるものがあると、うつは逃げていく

 

今現在の、わたしはというと、

正直に言うと、

元看護士ママさんみたいな、華々しい実績はまだありません。

 

ただ、なんの取柄もなく、むしろ、

  • 高卒で、学歴コンプレックスあり

 

  • 仕事は、2年と続いたことがない

 

  • 他のビジネスに、ことごとく失敗

だったわたしが、

いまは、毎朝4時に起きて、コツコツとネットビジネスをしています。

 

「忙しくてうつになったのに、

さらに忙しくなって、

うつが悪化しないの?」

と、心配されるのですが、

夢中になれるものを見つけて、

いつの間にか、

わたしも精神的にも体力的にもタフになっていました。

こんなタフなママに成長し、うつのほうが逃げていきました。

 

今まで、この仕組みつくりのために、

自分に投資した金額は、30万を超えます。

決して、多くはありません。

 

だけど、カツカツの生活費の中から、なんとかやりくりしたお金です。

その貴重なお金をかけて、学んだ知識を武器に、

ひとまず、

月20万を稼いで今の仕事を辞める

のが、当面のわたしの目標です。

月20万あれば、今のパートでのお給料+5万くらいです。

今の仕事を辞めて、ネットビジネス1本で食べていけるように

本気で、この仕組みを使ったビジネスに取り組んでいます。

 

元うつ夫婦だった、わたしの野望

 

学生時代は、脳内お花畑。

大人になったら、うつを経験したわたし。

そんな、わたしがなぜこんな赤裸々な告白してまで、

情報発信をしているのか?

 

 

それは、

わたしと同じ悩みを持つママやパパ

たとえば・・・

  • がんばって共働きで働いても、生活がカツカツで、子どものためにお金がつかえない

 

  • 子どもと一緒にやりたいことがあるけど、時間がない

 

  • 子どもが大学や留学したいと言ったときに、お金を気にせず、やらせてあげたい

 

  • 旦那さんや奥さんが、病気やケガなどで、会社勤めができない

 

  • シングルマザーやシングルファーザーで、その日生活するだけで精一杯

 

そんなママやパパに、

 

この仕組みを知ってもらいたい

 

会社だけがすべてじゃない

 

自分で稼ぐ方法もあるんだよ!

 

収入が増えたら、もう少し楽になるよ!!

 

ってことを伝えたいんです。

 

そして、

子どものことを話すように、

ビジネスのことを気軽に話せる

ママさんパパさん仲間を増やしたい!

 

そんな、意外に熱い想いで、情報発信しています。

 

わたし、脳内お花畑だけど、

松岡修造並みに熱い女なんですよ(´艸`*)

ブログでは伝えきれないことは、メルマガで♪

 

そんなんで、

脳内お花畑だったわたしは、

子どものために、脳内ビジネス一色に変わりました。

あ、いまだにお花畑は残ってるので、

お花畑の中で、松岡修造並みにビジネスをしてる感じですかね。

 

そんなわたしのメルマガでは、

  • 子どもと過ごす時間を増やす働き方って、どんな働き方?

 

  • そもそも、仕組みってなに?

 

  • 忙しいパパやママでもできるの?

 

  • ネットビジネスってあやしくないの?

など、いろんな疑問に思うことを、

メルマガで、わかりやすくお話しています。

 

また、ブログでは書けない、

お花畑の脳内が、真っ黒な感情に支配されてた時の話なんかも書いています。

 

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【ママのための幸せな働き方(テキスト全17ページ)】

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これからの時代、子どもがいるママは、

どういう働き方を目指すべきなのか。

 

メルマガのタイトルにもある通り、

「子どもと過ごす時間を増やす働き方とは、

いったいどういう働き方なのか。

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